昨日岡行政書士事務所にSOSの相談をしてきた人は、大阪市阿倍野区の元生活保護受給者だ。
ケースワーカーが指示した求職活動を行わなかったことを理由として、12月24日付で「生活保護廃止」決定を受けたのだ。
しかもいままで受けた保護費から15974円を返還しろと言うおまけ付きだ。
確かに生活保護法では、27条で必要な指導・指示をできることになっており、62条ではそれに従わない場合は保護の廃止もできると規定されている。
しかし保護の廃止というのは、保護を受けている者にとって重大な結果をもたらすので、厚生労働省も最初から廃止にするのでは無く、先ず弁明の機会を与えることなど安易に保護の停止や廃止を行わないように「実施要領」では規定している。この福祉事務所も、この国の規定に沿って保護の停止・廃止という処分を行っているようだ。
相談者の話を聞くと、全く求職活動を行わなかったわけでは無いが、担当ケースワーカーの指示する方法での求職活動では無かったことが今回の措置の原因らしい。
しかしながら、たとえ福祉事務所が求める求職活動が行われていなかったとしても、実際に収入の全く人の生活保護を打ち切ればどういうことになるかということをこの福祉事務所と担当ケースワーカーは考えなかったのだろうか?担当のケースワーカーは、電話で話しただけだが、若い女性のようだった。「異議があるなら審査請求してくれればいい」と冷たく言い放ったが、現在のその人の生活状況には全く関心も興味も無く、行政書士が抗議してきたので、いかに法と実施要領に沿った「適切な措置」であるかを力説し、いくら訴えられても勝てるという自信に満ちた話しぶりが印象的だった。
しかしそんな法の解釈に問題があるのではない。
現実に仕事も収入も無い人が生活保護を打ち切られたら死ぬしかないとという現実が見えるか見えないかだけのことである。
この人は家賃も払えないで家主からは退去を求められ、食べる物も無くなり、調味料をなめて飢えをしのいでいた。このままでは餓死すると思って岡行政書士事務所に助けを求めて来たのだ。
すぐに西成区の家主さんに頼んで初期費用無料で入れてくれるアパートを確保し、食事も提供し、西成区福祉事務所に生活保護申請を行う予定だ。私の事務所に出合うことが無ければ、大阪で餓死事件が起きていたかも知れない。
憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と書いてあるでは無いか?福祉事務所の指導に従わない者は死んでもいいとはどこにも書いていない。
求職活動に不備があるのであるならば、保護を受けている人に寄り添った親身な指導を行い、実際に職に就いて、収入を得て、自立するのを見届けるのが福祉事務所の役割であって、12月の寒空に一人の人間を放り出すのが福祉事務所のやるべき事では決してない。
この人間として当たり前のことがどうして分からないのだろう。福祉事務所の決定は、人の生死を左右するのだ。阿倍野区の福祉事務所は人を殺す決定を行ったのと同じことではないだろうか?