岡行政書士事務所には毎日のように生活困窮者からの相談メールや電話が入る。
実際に事情を聞いて「費用は後で分割でいいので、直ぐに生活保護申請をしよう」と、代理人となって申請書類を作成し、相談者に送るが、その後何の連絡も無く、連絡も取れない相談者が多い。
保護が開始された途端に連絡は途絶え、費用は払わない。
保護費が出たら突然いなくなって、消えてしまう。着信拒否設定にしている。家に入るとまるでごみ屋敷、一日かけて掃除しなければならない。
これまでもこんな不義理を繰り返して来たのだろう。頼ることの出来る友人も親族も誰もいない。
寮付きの派遣を探して何とか食いつなぐが直ぐに解雇となる。派遣側に聞くと会社ではなく、本人が悪いケースも多いようだ。時間は守らない。勝手に休む。約束は守らない。「まるで宇宙人」「普通の人間では無い」という言葉も良く聞く。
生活困窮者は、可哀想な存在で助けを待っている。手を伸ばせば助けることが出来る。助けられた人はこれで人生が再建出来る。
こんなきれい事は、生活困窮者支援の現場では全く通用しない。毎日「裏切者」との「格闘」である。
こんな人たちであるが、社会全体としては、「自己責任」「自業自得」で放置することは出来ないのだ。むしろこうした「困った人たち」にこそ援助が必要だ。なぜなら、人間は生まれてきた以上、必要ないからと言ってもどこかに捨てることは出来ない。そんなことをすれば確実に犯罪は急造するだろう。
又こうした人物であっても生まれつきでは無い 衣食住足って礼節を知るという言葉もあるが、そもそも人生の出発点から虐待や親からの遺棄など不幸背負っているケースも多い。
それでも「甘えるな」という人も多いだろう。しかし、甘えるなと言っても、はい分かりましたと突然頑張れるようになるかと言えば、それは無理なことだろう。
結局、幾ら不義理をしようが、ムカつこうが、彼らの支援は必要だ。
又こうした不義理を働く人物は、生活困窮者の中でも少数派であることも事実で、8割程度は本当に感謝してくれている。
突然消える人物も本当に不義理を働く意思は無くても、致し方の無い事情があったのかも知れ無い。
障害者とのボーダー層で,後先のことを考える能力に欠けている可能性もある。
こうした困った人物にどう対処するか、お金をかけることにどれだけ社会全体の同意があるかで、社会の寛容性というか、質が決まって来るのではないだろうか?
確かに税金払うだけで自分には何も返って来ない。損だ!と思う人も多いだろう。しかし税金のお世話にならないでも生活出来ているということは幸せなことなのだ。
又自分自身も傷病や老齢が原因でいずれ税金のお世話になる場合も必ずやって来る。
議員の中には、生活困窮者特に生活保護受給者を槍玉に挙げ、この層へのパッシングで,「損をしている」感一杯の層の支持を取り付けようとしている者もいるようだ。
しかし、社会全体のことを考えると有害なだけではないだろうか?